普通の人のようにどんな状況下でも動ける健康的な身体を手に入れたいという切なる皆様の願いを当サロンのスクールで実現させます。
気善健康法の創始者である山崎ももこは36年間、自分にも他人にも違和感を感じながら、虚弱体質の様々な症状とともに生きてきました。虚弱体質を治せるという病院や治療院に沢山通い続けましたが、様々な症状を理解できる人が1人もおらずに歯がゆい思いをしてきたんです。
自分の何が悪いのだろうと考える日々を過ごし奮闘をする日々を長年過ごしてきましたが、私が感じたことといえば「何も変わらない。」という残念で無念な結果が残ったことだけだったのです。沢山の時間やお金を費やしましたが、どこに行っても、誰に相談をしても、何の進展もなく孤独しか感じずに、なぜ少しも良くならないんだろうと思う日々に涙する毎日を過ごし続けました。
見た目は普通の人と何ら変わらないのに、なぜ普通の人のように動けないのか、辛く苦しみしかない毎日に悩み涙する日々を過ごし続けた私は、ある日を境に、自身の症状や悩みはなぜ起こっているのかを研究するようになります。
それは32歳の冬、ぎっくり腰に何度もなったある日、全身に激痛が走り、腰から下がまったく動かなくなりました。上半身は手が若干動く程度で、ヒジは動かない状態でした。その際にお世話になった治療院である衝撃的な事実を言われます。「私の治療院で見たこともない一番ひどい状態です。」と。その言葉を聞いた私はやっぱりどこに行っても治らないんだなぁと思いましたが、どこに行っても治らないのなら自分で治そうとその治療院に通いながら決心したのでした。
そして、その治療院でさらに衝撃的な事実を突きつけられます。あなたの感覚は感覚過敏を超えていて普通の人にはない特殊なものです。と言われたのです。何が特殊なのかを治療院の先生に何度も聞きながらインターネットで調べていくうちに見えてくるものがありました。調べるのにも2年がかりでやっと私が生まれつき持っている能力についてもわかるようになるのです。
実際には、人間の構造などの基礎を学びながら、私自身の身体に実際に試していくという様々な研究を0からしていかなければ虚弱体質は卒業できないという難儀なものでしたが、私にはその方法をやって生きていくのか、やらずに死ぬのかのどちらかしか選択肢はありませんでした。
私に起こっていた症状は、Momoco Academyで卒業ができる症状と悩みのすべてが発症をしている状態でしたし、とくにひどい状態であった目の見えづらさは、歪み、ブレる、にじむ、光る、眩しい、動く、揺れる、湾曲する、固まる、見ていられない、1分も目を開けていられない、最初の文字に戻ってしまい文章を追って読み進めることができない、など、このような目の見えづらさに加えて身体症状もかなりひどい状態でしたから、息をするのも必死になっている状態でした。この時の身体症状は簡単にいえば、息をするたびに頭の先から足先へと稲妻が走るように痛みが全身にあって薬も注射も何もかも効かない状態というもので何十年も寝たきりを繰り返していました。
生まれつき体が弱かったかといえば、どちらでもないと言えると思います。運動神経は良くて高校生までのマラソン大会などでは10位以内に毎年入っていましたし、毎日学校に通いながら習い事にも通っていました。しかし、風邪はたびたび引いていることが多く、小学生の頃には太陽のまぶしさで目をつぶりながら登下校をしており、ガクッと力が抜けることがあり、車での送り迎えが増えたと思います。小学生までは人前に出ていくことがとても好きでオーケストラの指揮やキラキラとしたドレスを着てバレエダンスなどを進んでやる保育園時代でしたし、よく自分のことや出来事のお話などもしていましたが、小学生に上がると気付けば人前に出ることや言葉を話すこともできなくなっていました。それは何かトラウマがあってなっていったわけではなく自然とそうなっていってしまった、というのが印象にあります。そして当サロンで卒業ができる症状と悩みのすべてが併発して行き、歳を重ねるごとに症状は悪化していきました。
36年間、悪化をしていくだけだった様々な虚弱体質の症状は、私の研究で解決方法も原因も時間はかかりましたが分かっていきました。虚弱体質以外にもエンパス・HSP・クレアという生まれつき私には感覚過敏を通り越した能力が備わっていたため、その研究は過酷なものでしたがたくさんの生きづらさを解決することができたのです。そして現在私は、自らの虚弱体質から卒業をした方法を気善健康法として虚弱体質のお悩みを持つ方々に教えています。人体の根源を勉強をしていく気善健康法は虚弱体質以外の様々な生きづらさからも卒業ができます。